生活道路「原田橋」の、歴史と現在の状況
こんにちは。
浜松市佐久間町のBarBer Shop の店長 乗本和男です。
9月になり僕たちの生活道路の原田橋が完成に近づいて来ました。実際に通行可能になるのが来年の4月からなんですが、外回りの状態を見ると「もう通してもいいんじゃないの?」って言葉が出るくらい、完成の域に達していると思います。そんな原田橋を見ると、この5年間の大変な出来事が頭をよぎるんですよね。
そんな原田橋が崩落してから5年間は、天竜川を横切る河川敷仮設道路として、生活道路にしていました。でも台風や大雨によるダムの放流や、警報など危険な状態になると通行止めになるんです。そして悲しいことにまともな迂回路がないんですよね。あるのは高い山を通る林道だけなんです。そんな完成に近い原田橋を間近に見ると、今まで苦労した人たちの気持ちが込み上げて来ます。
初代 原田橋ができるまで
原田橋って簡単に言っているけど、なんで原田っていう名前が付いているのか知りませんでした。先日お客さんと会話をしていたら、原田橋を作った人のお孫さんが、その家に遊びに来たらしんです。実は原田橋は名前の通り「原田」さんという方が、私財を売って作った橋なんです。
その原田さんなんですが、実は中部という浦川から天竜川をまたいで、対岸にある町で大工さんをやっていたんです。それから大工の仕事で横浜に行き、工務店をやっていたのですが、どういうわけか、今でいう風俗業を経営し始めて、莫大な富を得たみたいなんです。その得たお金を使い、地元、中部の人たちが困っている姿を見て、天竜川に浦川から中部を繋ぐ橋をかけたんですよね。
それが原田橋なんです。
この原田さん、お客さんの話を聞くと実に字が上手く、いくつかの掛け軸など書物を人々に差し上げていたらしんです。その1つがお客さんの家にあり、それを佐久間町に来た原田さんのお孫さんが見せて欲しいと来たんですよね。ほんとにその原田さんが横浜で大金を儲けなかったら、今の原田橋はなかったかもしれません。
今ではしっかりとした政府があるので、こんなことはありませんが、昔は自分の私財を投げ打って、人のために橋をかけてくれたりしたんですね。本当に立派な人だなって思います。
話が少しそれてしまいましたが、あと半年で通行できる原田橋。出来上がったらぜひ佐久間町にドライブに来てくださいね。原田橋にこんな歴史があるんだなって知っていと、ドライブもより楽しくなると思います。
この記事の投稿者
乗本和男