歌舞伎役者と、佐久間町浦川に住んでいる人の温かさっていいなと思いました。
こんにちは。
今日は、昨日より若干暖かい様な感じがして、朝少し起きやすかった
我が山里深くにある佐久間町浦川と言う町は、古くは、秋葉神社へお参り行く街道の宿場町で、繭や材木の市場があり賑やかく栄えていたんです。
そんなことで、この町には人が集まり山の中のチョツトした、当時としては、なんでも品物が揃う都会のような役割をはたしていた町だったんですね。
そんな町に治療に来た、歌舞伎役者の話をしたいと思います。
音羽屋一門の歌舞伎役者 尾上栄三郎
ここに、尾上栄三郎の事を貼っておきます。見てみてください。
尾上栄三郎は、長野県飯田市で公演中に病で倒れ 飯田の医者に診てもらったのですが
全然回復せず、病が悪化をたどっていったんです。これではいけないと、医者を探して
いましたら、裏鹿(現在の佐久間町浦川)に蘭学を学んだ三輪見龍と言う医師がいることを調べて、暴れ川と異名を持つ天竜川を下り、三輪見龍医師に診てもらいに来たんです。
尾上栄三郎は、この三輪見龍医師に診てもらうことで、一時的に回復したのですが
すでに病は、全身を蝕んでいたみたいで、治すことが出来無かったみたいなんです。
そこで、浦川の人達は、病気に苦しんでいる尾上栄三郎の事を、一生懸命看病し
尾上栄三郎の為になる事だったらなんでもやって、尾上栄三郎の回復を祈っていたんですね。
田舎の人と言うものは、僕が言うのもなんですが、昔から変わらず人が良くて、珍しく新しい物にすごく関心を寄せ(尾上栄三郎など)、他人の悩みや困り事何かを、自分の事の様にに思って一緒に考え行動をして可決しようとするんです。
そんな、佐久間町浦川の人達の温かい人柄や、優しさを尾上栄三郎は感じてたんでしいょうね。
病が治ることはありませんでしたが、一時的に快方に向かった時があったんです。
その時に、自分の事を心から心配してくれて、大事にしてくれた佐久間町浦川の人達に
自分の歌舞伎を観てもらおうと、病が蝕んでる体を奮い立たせて「仮名手本忠臣蔵 五段目 山崎街道の場」の佐久間町浦川での舞台を行ったんです。
しかし、体を病がかなり蝕んでいた為、尾上栄三郎は、この舞台の途中でことき切れ
て死んでしまいました。
そして、佐久間町浦川の人達に恩返しをしょうとして舞台中に亡くなった尾上栄三郎の
事を思い、彼岸の9月23日には、尾平峠と言う小高く佐久間町浦川の町を
全貌出来る所にお墓を立てて今でも忍び、おまつりしています。
それから、佐久間町浦川の人達は、尾上栄三郎の影響を受け歌舞伎に魅せられて、
初めは歌舞伎役者を呼んでいましたが、自分達で演じてみたくなり、佐久間町浦川歌舞伎を発足したんです。
その歌舞伎が、一時途切れはしましたが、現在も9月の最後の土曜日に尾上栄三郎を忍んで公演しています。
今回は、歌舞伎役者の事を題材にして書きましたが、佐久間町浦川に住んでる人たちの
暖かさと人の良さを皆さんにお伝えしたいなと思って書いてみました。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
この記事の投稿者
乗本和男