外科医と床屋、12世紀にはヨーロッパで同じ職種だった。
こんにちは。
やはり今年の11月の気象状態は異常で、例年よりも暖かくて、雨が多かったみたいです。そのせいで紅葉や畑の作り物は温度の変化によって良し悪しが決まるから困ってしまいますね。
12月に入ると強烈な寒波が来そうで怯えている、浜松市佐久間町の理容師 乗本和男です。
僕の職業は床屋(理容師)なんですが、床屋というと一番最初に思いつくのがクルクル回る「青・赤・白」のサインポールですよね。
このサインポールの形や色使いについては、いろいろな憶測がありまして実は、一般的に知られている物が間違いだったりしているんですよ。
☑サインポールの起源
床屋は、もともと12世紀ごろのヨーロッパで外科医だったんですね。ヨーロッパでは、外科医と同じで体を切る仕事と髪の毛を切る仕事は同じだと考えらてたんです。
そのために床屋外科医として床屋が外科医を兼ねていたんですよ。そのせいで、あの有名なサインポールの「青・赤・白」の色は「静脈・動脈・包帯」と言われていたんですね。
しかし実は、この説が本当ではないらしいのです。僕も今までは、これが本当だと少し思っていました。(笑)
余談ですが、サインポールは他にも呼び名があったみたいなんです。
ひねりを加えた形が、安土桃山時代にポルトガルから伝来した砂糖菓子有平糖とよく似ていたことから有平棒(あるへいぼう)何て呼ばれた事もあったみたいですし、イギリスの国では、バーバーズポールと呼ばれてたみたいです。
サインポールも、万国共通で、「青 赤 白」 なんですが、一部の地域や国では、「赤 白」 の二色の所もあるみたいなんです。
それでは余談はさて置き、じゃー本当に正しい説はなんなんだと思いますよね。実は、サインポールの説は、色々ある上に文明化した物がないため判断は難しいみたいなんです。
が、
実は、これが正しいのではないかという説がありました。
☑床屋にはもう一つの仕事があった!
12世紀当時、病気などの患者さんに対し、ポピュラーな治療法のひとつに、「瀉血(しゃけつ)」というのがあったみたいなんです。当時、外科医を兼ねていた床屋がやっていたんですね。
患部を切開して血を抜き取る際に、患者に棒を握らせ、腕を固定し、そこを伝って受皿に落ちていくようにしていたんです。
その血の付いた棒は、衛生上良く見えないので赤く塗り、包帯とその赤く塗った棒を外に干しておいたら、風で棒にクルクルと巻きついてその模様がサインポールの原型になったみたいです。
その後、1700年代にフランスや英国で、床屋と外科医が区別された時に、床屋は青を、外科医は赤白にと定められたため、床屋の看板は今日の「青・赤・白」の3色になったといわれているんですね。
でも先ほど書きましたが、文明化されてないので色々な説がありますが、これが一番正しいのに近いかなって思います。
どちらにしても、理容師が12世紀頃は、外科医と同じ立場だったんだと思うと頭が良くなったような気持ちになって嬉しくなっちゃいます。(笑)
最後まで読んで頂きありがとうございました。
この記事の投稿者
乗本和男