鮎の友釣りの人気店大黒屋釣具店は、人との繋がりを大事にしていた。
こんにちは。
今年の12月は、去年より大分暖かいみたいです。Facebookでいつも投稿してくれる人が言ってました。そう言われると、寒い寒いと思ってたのに
なんとなく寒さが和らぐような感じがした 浜松市佐久間町の理容師 乗本和男です。
12月2日、ついに我が町のシンボル的お店が完全に幕を閉じてしまいました。その名は、大黒屋釣具店です。
大黒屋釣具店は、僕が生まれる前からやっていたのでもう50年ぐらい同じ場所で営業してきました。はじめは普通の釣具店でしたが、だんだんと時代が変わり釣りブームに乗り
日本の景気がだんだん良くなってきた1980年頃、鮎の友釣りの竿にカーボンが出だした頃、店のメインを鮎の友釣りにして多くのお客さんを呼ぶ事に成功したんです。
それまでは、竹竿で藁草履を履いて釣っていた鮎釣りの釣り人がカーボンの竿を持ちウェットタイツに鮎タビを履き鮎釣りにお金をかけるようになりました。
なかなか大黒屋のおじさんの先を見る目は鋭いものがあったんです。
☑大黒屋釣具店と僕との関係
僕が小さい時から、大黒屋釣具店は鮎のオトリ売りをやっていました。そして、オトリを売るだけではなく、釣ってきた天然鮎も買ってくれていたのです。
その為僕のおじいさんはその当時もう仕事をしていなかったので、シーズン中はほとんど毎日鮎釣りに行ってました。そして、釣ってきた天然鮎を大黒屋釣具店に売るのです。
その売り行く役が僕だったのです。大黒屋のおじさんも、隣の家なのでしょうがなく死んだような天然鮎でも当時の言い値で買ってくれたと思います。
そん事をやってるうちに、僕も小学校から鮎釣りをやり始めて、鮎の友釣りが解禁になる前の一ヶ月ぐらい、大千瀬川に行って毛ばりで釣るテンカラをし、
釣れた鮎をおじさんに見せて、鮎の成長の報告をいつもしていました。今では、テンカラは禁止になっていますが、当時は雑魚釣りに行ってもやたら鮎の稚鮎がかかったぐらい放流量も多かったんですね。
☑人との関係性を大事にしていた大黒屋のおじさん
大黒屋のおじさんは、鮎の友釣りの解禁前日から2日間寝ないでお客さんを全力で迎えてました。それからの土、日は、大体いつも朝方の3時には起きてお客さんを迎えます。
そんな、生活がシーズン中の7ヶ月ぐらい続くわけです。ものすごい体力がいりますよね。シーズン以外にも、自然薯を作り、鮎の甘露煮や、うるかを売っていたんです。
でもただ鮎のオトリなどを売ってるだけでは、こんなに大変な仕事が50年以上毎年続くわけではありません。そこには、おじさんと釣りに来るお客さんとの関係性があったんです。
もうお客さんは、常連さんばかりです。解禁前には毛布を用意して仮眠させて、釣り人が相談行くると座敷にあげて接待して話を聞いたりしてました。お客さんとまるで親戚付き合いをしていたんです。
そのおかげで、良くお客さんからお土産をもらい食べきれない物は、隣家の僕のうちに持ってきてくれました。(笑)
お互いに顔を知り、信頼し合い、一人一人のお客さんと一つ一つの糸で繋がってるそんな仕事をしていたおじさんでした。
本当に残念です。84歳になる今まで、多くの人にこの佐久間町浦川を宣伝してして頂き貢献してくれた事に心から感謝したいです。ありがとうございました、そしてお疲れ様でした。
そして、僕もおじさんを見習い頑張って佐久間町浦川を宣伝していきたいと思います。
長い文でしたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。
この記事の投稿者
乗本和男