今の盆踊りは宗教感の場所より、みんなのコミュニティーの場所。

浜松市の山奥も今日から賑やかな盆踊りが開催されます。いつもお盆には休ませてもらっている床屋の仕事も、今回は日にちの関係で営業日になってしまったんですよね。ですから床屋にヘアカットに来てくださーい(笑)そんな営業時間の今朝、1番初目に来店された隣町のお客さんが「明日盆踊りがあるんだけど、お寺でやるっていうだよね。お寺でやると神道とか他の宗教の人が来れなくなっちゃうから、反対したんだ。」って言ってきたんです。

僕の町では昔人が多い時は、小学校のグランドを使ってやってましたが、今は人口も減ってしまったために、JR飯田線浦川駅前でやるようになったんです。元々お寺でやることがなかったせいもあり、浦川キャンプ村に泊まりに来た人も、楽しみに寄ってくれるんですよね。でもさっきのお客さんがいうように「お寺」でやると、どうしても宗教感が出てしまい、他の宗教をやっている人が来れない場合があるんです。

今では昔とは違い、お盆という風習からかけ離れた、夏のイベントとしてやっている盆踊りが多いような感じがします。僕はその方がいいと思うんです。それはさっきも書いたけど、世の中には色々な宗教をやっている人がいます。そんな人でも気軽に参加できるような、コミュニティーの場として考えたいからなんですよね。でも盆踊りってなんでやるのかなって前々から不思議ではあったんです。若い頃はやぐらに乗って太鼓を叩いたものです。

でもなぜこの盆の時に踊らなくてはいけないか?ちっと調べてみたんですよ。

元々は平安時代に「空也」とう坊さんが、念仏を人々に覚えてもらおうと、瓢箪を叩き念仏を歌のように唱えながら歩いたらしいんです。その際に念仏に合わせて踊るようになり「念仏踊り」として広まっていったんですよね。そして念仏踊りは先祖を供養する盆と結びついて「盆踊り」になったみたいなんです。そのあと鎌倉時代に盆踊りが全国に広がっていったんです。江戸時代になり人々の交流の場になっていったみたいなんですよね。

こうやってみると時代によって変化して来た盆踊り、これからも先祖供養も大事だけど、地域の人々のコミュニティーの場としてどんどん活躍していって欲しいなって思いました。

 

 この記事の投稿者

乗本和男

浜松市の山奥にある佐久間町というところでフィフティーズな床屋 「ヘアーサロンノリモト」を営んでいます。フィフティーズ・ロカビリーが大好きで自然に囲まれながらロックな毎日を過ごしています。町の人に喜んでもらえる床屋を目指しています!
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