和太鼓集団「志多ら」を退団する青木くんとの思い出。

僕は地元に帰って来てから、ずっと和太鼓集団「志多ら」のメンバーのヘアカットをしています。もちろん全てのメンバーではありませんが、みなさんよく来てくれました。志多らも25年ぐらい前までは、正直なところ生活するのも大変な時代があったんですよね。それはずっと見て来たからわかるんです。

今メンバーを卒業して、営業や裏方をやっている大脇くんがメンバーでやっている時には、かなり大変だった感じがしました。そして志多らのメンバーも僕が知っているだけでも、何人もの人が入っては辞めて行ったんです。色々なことを思い出すと懐かしいです。

志多らの正メンバーになるためには、まず準メンバーになるんです。そして少し前までの修行期間は、2年間の間も携帯は使えない、生活費は自分持ちという修行時代があったんです(今は1年間の修行期間で、試験を受けて準メンバーに上がれます)これが辛くて辞めて行った人も多くいました。そんな人を何人も見て来ましたからね。でもその2年間の辛い修行時代を乗り越えて来た人たちが、正メンバーとして活躍しているんですよね。そんな正メンバーのほとんどが、10年以上も志多らに在籍して頑張っているんです。

僕が知っている限りでは、男性では大脇くんぐらいなものでした。今では5人が10年以上も在籍しているんですよね。昔のことを見て来た僕にとって、これだけ続いたメンバーは、今までにないんではないかなって思います。それだけ素晴らしい、実力と才能を持ち合わせた人たちなんです。

そんな頑張って来たメンバーの1人が、今年度いっぱいで退団することになったんですよね。その人の名前は青木崇晃くんと言います。青木くんとはもう10年以上の付き合いになるでしょうかね。大太鼓演奏者として、日本でも指折りの演奏者の中に入っているんですよ。そんな彼は僕が見た感じでは、凄く真面目で、自分の好きな和太鼓に対して真剣で、色々と和太鼓の必要な感性を磨いて来ました。

そして僕の店にカットに来ると、志多らの中での生活や、自分がこれからどうしていきたいのか、そんなことを一緒に話したりして、真面目な会話もいっぱいしたんです。そして青木くんとの1番の思い出は、一緒にタッグを組んで「整体まくら」を広めようとしたことです。青木くんに使ってもらい「凄く調子いいよ」といったので、この体験を生かして広めようと思ったのですが、残念ながら広まりませんでした。

演奏には素晴らしい才能を持っている青木くん。きっとこれからも多くの人に感動を与えると思います。ただ僕に一言だけ言わせてもらえば、太陽くん並みの調子よさ(笑)を身につけて欲しいです。そしたら営業も百人力になりそうですからね。本当に会えなくなるのは寂しいですが、また青木くんの公演にはいきたいなって思います。

体に気をつけて、自分の信じた和太鼓の道を突っ走ってください。たまには元気な顔を見せに来てね。それじゃまたね。

 この記事の投稿者

乗本和男

浜松市の山奥にある佐久間町というところでフィフティーズな床屋 「ヘアーサロンノリモト」を営んでいます。フィフティーズ・ロカビリーが大好きで自然に囲まれながらロックな毎日を過ごしています。町の人に喜んでもらえる床屋を目指しています!
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