今日はKING(エルヴィス・プレスリー)の命日

キングを知ったのが小学校5年生の時でした。ソフトボールの試合の後、乗ったバスのラジオから「エルヴィス・プレスリー」が死去したと流れて来たんです。僕はまだその時にエルヴィスのエの字も知りませんでしたが、そんな彼にそれからの音楽感を変えられるとは思ってもいなかったんです。

中学生になると色々な出会い上がります。まずは豊橋から引っ越して来た、同級生の兄貴の部屋に行ってフィフティーズの音楽と出会い、80年代にはチェッカーズやラッツandスターやザ・ビーナスなどのフィフテイーズな曲を歌うグループが出て来て、ファッションでは「クリームソーダ・ペパーミント」などのフィフテーズやロカビリーの服装を扱う店も出て来たんですよね。

そしてこの時代にピュアロカビリーと言って新しいロカビリーなバンドも出て来ました。代表的なものが「ストレイ・キャッツ」です。まさに80年代の初めは1955〜1963年まで、いわゆる「フィフティーズ」ふがリバイバルした年なんですよね。

僕のフイフティーズな歌手とかの影響を受けました。衝撃が走ったのは大好きな「ダイアナ」を歌っているポールアンカ、そしていつも同じジャンルで人気のあったニールセダカ。僕はロックぽい激しい曲よりも、2人が歌っているポップンロールみたいな、アップテンポのポップスが好きだったんです。だから当時不良な感じのするロカビリーとかはあまり聴かなかったですよね。

でもそれが変わったのがエルヴィスの「冷たくしないで」という曲だったんです。僕の好きなメロディー感に合っていたんですよね。それからどんどんエルヴィス・プレスリーにのめり込んでいって、今では調子こいて「エルヴィッていこうぜー」なんて、エルヴィスの顔ハメパネルを作って店で楽しんでいます。

そしてなんといっても僕にとって「ハウンド・ドック」が、エルヴィスをキングと呼ばせる曲なんです。正直な話し曲の内容なんてどうでもいいです。このエルヴィスの歌い方と曲が僕を元気にするんですよね。

 この記事の投稿者

乗本和男

浜松市の山奥にある佐久間町というところでフィフティーズな床屋 「ヘアーサロンノリモト」を営んでいます。フィフティーズ・ロカビリーが大好きで自然に囲まれながらロックな毎日を過ごしています。町の人に喜んでもらえる床屋を目指しています!
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