商売は人間同士の繋がり、だから簡単に切れるものじゃない。

商売をやっていると色々なことが分かります。まずはお客さんの情報とかね。店に来店してくれるたびに、心が通じ合って親しくなっていくんだよね。あんなことこなこと、お客さんの実生活のことにも関与しちゃうくらい親密になったりしちゃうんです。だから商売ってお客さんと簡単には切れない親密な関係になるもんなんですよね。

僕の町では8月の4・5(土日)に年に一度やる夏祭りが行われます。そのお祭りのメインが花火大会なんですよ。正直な話し、今の僕の住んでいる町では素晴らしい花火はあげれません。それは商店と地元企業がなくなったからなんです。僕が地元に帰って来た時には、町の並びの家がほとんど何かの商売をやっていたんです。そしてまだまだ活気があり、人もいっぱい行き来していたんですよね。

それに町の近隣には縫製工場など奥様たちが働ける工場や会社があったんです。だから仕事が終わった後に、町の商店街に寄って買い物をしてくれたんですよ。だからこの町も夕方になると奥様連中で賑やかくなったんですよね。それがだんだんと定着する若者が減り、近隣の工場もなくなり、商店の後継者もいなくなり、だんだんと過疎化に進んだんです。そして15年前に浜松市との合併で、多くの若い役所の人や農協や大手の会社勤めの人は、浜松の中心に引っ越して行ったんです。

そんなこともあり昔ほど多くの花火を上げることが出来なくなったのですが、不思議なもので当時はここらあたりでは有名だった想いが残っているんですよ。だから少ないなりに一生懸命に花火を上げるんです。そんな花火は昔から浜松三方原町にある「田畑煙火」さんの花火でした。僕たちも消防団や若連の時には花火を打ち上げさせてもらったりしたんですよね。

 

そんな夏祭りが近くなった6月27日の夕方、エクスマセミナーin豊橋 に行っている時に、携帯に電話がかかって来たんです。それは地元自治会長からでした。僕も自治会の仕事をしているので連絡してくれたんです。「おい、大変なことが起きたぞ!田畑煙火が爆発して死亡事故を起こした」これを聞いてビックリし、お祭りはどうなるのか不安でした。

その次の日に関係者で集まり田畑煙火は花火を上げれないかもしれないから、他の花火屋に変えようという話が出たんですが、あくまでも花火屋を変える時は、田畑煙火から出来ないという断りの連絡が来てからにしようと、何十年とお願いしてる花火屋さんを簡単に変えれないということなんです。それから2日後に田畑煙火の方から「やらせて欲しい」という連絡が入りまいした。僕の隣町の上市場とう部落も今月の終わりに花火を上げるのですが、田畑煙火が上げることが出来なかったら今年の花火は打ち上げをやめようと決めていたみたいなんです。

何十年に渡る商売の繋がりは、決して簡単には切れないんですよね。お客さんも商売人も強く繋がった気持ちがあるから、深い信用という絆で結ばれているんだなって、今回の事故で強く感じました。

 この記事の投稿者

乗本和男

浜松市の山奥にある佐久間町というところでフィフティーズな床屋 「ヘアーサロンノリモト」を営んでいます。フィフティーズ・ロカビリーが大好きで自然に囲まれながらロックな毎日を過ごしています。町の人に喜んでもらえる床屋を目指しています!
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