おばあちゃんの49日を迎えて思うこと
こんにちはー。
おばあちゃんの49日
月日が過ぎるのは早いもので、あっという間に先日旅立ったおばあちゃんの49日がやって来ました。
人って去っていく時間の中で、大事なものを少しずつ忘れていくことがあると思うんです。
特に亡くなった人を感じている時間(立場により違います)は、時が過ぎていく中でだんだんと忘れていってしまうものじゃないかなって考えているんですよね。
そうやって寂しさを少しずつ無くしていくのかな?
法要の日は別の意味もある
宗教の違いでこういった供養をしないところももちろんあります。
でも宗教関係なく故人を思い浮かべて、思い出の中にもう一度感じることって大事かなって考えました。
そしてただ故人を思うだけではなく、残された親族や友達にとっても大事な供養の場なんですよね。
その理由は、親族が一堂に集まるということなんですよ。
実際になかなかこれといって親族が集まる時ってないんですよね。
これだけの身内が集まり顔を合わせて色々な話しをしたり、おばあちゃんを偲んで会話をすることって本当にないんです。
そう考えると、この49日という供養の場は、親族がもう一度集まってお互いの絆を確かめる場でもあるのかなって考えているんです。
親族の繋がりを強める法要
親族にしか言えない相談事や、悩み、そんな話や幸せになっていく話など、普段話せないことも集まることでできるんですよね。
それに亡くなったおばあちゃんの魂がもしこの場に帰って来てくれていたら、自分の子供や孫、それに兄弟が仲良く食事しながらワイワイとやっているところを見て、安心するんじゃないのかなって考えたりもします。
お葬式から始まり49日・初盆・一周忌まで(うちの場合はここまで親族で集まります)おばあちゃんが旅立っても、一年間はみんなで集まり賑やかく過ごる場を持つことができます。
これもおばあちゃんが作ってくれた時間と場所です。
またこれを期に親族みんなが集まり 、楽しい時間を作っていけるといいなって感じました。
それでは、またー。
この記事の投稿者
乗本和男