令和5年は、浦川小学校が開校150周年の記念の年になりました。

こんにちは。

オールディーズが大好きな 浜松市佐久間町の理容師 乗本和男です。

我が母校が150年も続き、歴史ある学舎で自分も過ごしたことに、とても嬉しく誇りに思っています。今では生徒も11人と、えーっ!ってなる人もいるかもしれませんが、本当に昔のことを聞くと、びっくりしてしまうくらいの生徒数がいた時があったんです。今年 72歳になるお客さんに、当時の人数を聞くと同級生が200人近くいたことを言ってました。団塊の世代の方ですが、そんな人数を考えると、今がまるで嘘のように感じるんです。

ボクの同級生も50人いたんですが、当時でもそんに少なくなったのかと言われるくらいに、減少も激しかったんです。それからボクの子供の時には、まだ学年20人くらいの生徒はいたんですよね。小学校にお弁当を持って行って、一杯飲んで、お祭り気分で運動会を楽しんだ記憶があります。

それから一気に減少したのが、浜松市との合併を行ってからです。若い子はほとんど役場か農協など公的な職場についてました。ですから合併によって、浜松中心に、数少ない若い子が移動になったので、家族ともども移住してしまい、どんどん減っていったんです。

ボクが小学校1年に入学する時に、創立100周年記念式典記念碑. 除幕式挙行という、100周年を記念して、記念碑を作りその式典をやったんです。今から49年前になりますかね。その時は1年生だったので、何が何だか分かりもせずいましたが、色々なところで浦川小学校の記念の年を見ることが多くなって来たので、歴史ある母校が意識するようになりました。

そしてもう1つ浦川小学校には校庭に、200年を超える樫の木がそびえています。小学校と子供たちを見守って来てくれたんですよね。ちょうど小学校6年生の時に、さよなら第3校舎という新しく新築するために、解体する校舎を忍び、劇をやったんです。その時にこの樫の木の役をやりました。僕たちはぎりぎりで、新校舎に入ることが出来なくて、最後の旧木造校舎の卒業生となりました。それだけに、昔の校舎が懐かしく思います。

今年で150周年、本当におめでとうございます。生徒数が減っていき、存続が大変な時になりましたが、新しい転校生や入学生が増えてくれるのを願っています。ただこのままでは合併して、休校か廃校になるかもしれません。
もっと浦川の良さをボクも発信して、浦川で生活をしたいという若い人を呼び込めたら嬉しいです。

 

 この記事の投稿者

乗本和男

浜松市の山奥にある佐久間町というところでフィフティーズな床屋 「ヘアーサロンノリモト」を営んでいます。フィフティーズ・ロカビリーが大好きで自然に囲まれながらロックな毎日を過ごしています。町の人に喜んでもらえる床屋を目指しています!
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