3年ぶりの浦川お祭りを終えて感じたこと。

 こんにちは。

オールディーズが大好きな 浜松市佐久間町の理容師 乗本和男です。

起床信号花火の思い出

昔なら朝の早朝の信号花火が打ち上がっていました。それも朝5時の時間です。ボクが現役の時には、4時に起きて煙火場に行き、5号玉の起床花火を上げに行ったんです。もう前夜祭ということで、ベロンベロンに飲んでいても、なぜか必ずビシッと目が覚めて、こんな早い時間に起きれたんですよね。

こんな早い起床の信号は、6時に出発する御神輿のために上げるたんです。それも5号玉の爆音は、静かな田舎町のガラスを振動させるクラスの大きな音がなるんですよね。だからお祭りとは関係のない他の地区の人は、「勘弁してよって」いつも言われてました。

そんな早い時間の信号も、子供たちの減少で、最後には神輿が出発する時間も遅くなり、起床信号花火も5号玉から3号玉に小さく下げたんです。浦川の祭りといったら花火。その起床の信号花火も今年は上げるのをやめてしまいました。お金がかかるのと、神輿がなくなったことで、起床花火を上げる理由がなくなってしまったんです。でもコロナ禍の今年だけで、来年からはいつも通りのお祭りになってほしいです。

3時間だけのお祭り

楽しかったー!前日から娘たちも抗原検査をして帰省して来ました。みんな陰性で楽しいお祭りを向かえることができました。直ぐに調子づくボクは、前日から生ビールのサーバーを頼んで(もちろん サッポロ黒ラベル)準備してたんです(笑)集まった家族で前夜祭を行い、花火をやって楽しい時間を過ごしたんです。

そして当日は娘たちとバーベキューをやり、18時から始まる屋台の引き回しを待っていました。コロナ禍の中での屋台引き回しは、声を出さず、練りもなし、アルコールもなしで、マスクをしての引き回しでした。人も集まるかなって不安でしたが、3年間も待っていた人たちが集まり、短縮した時間の中で引き回しを楽しんだんです。

そして屋台をホコ天になっている路上に止めておき、いよいよ献納花火の打ち上げです。今年は3年ぶりというのもありましたが、浦川を好きな人たちが力を貸してくれて、16台の小スターマイン、7台のスターマイン、早打と数多くの花火を打ち上げることができ、また風もそこそこあって、綺麗な花火を見ることができました。娘も放送という大役をやっていたので、無事に終わり良かったと一安心だったんです。

そして花火も終了、最後の屋台の引き回しです。21時で終了しなくてはいけない屋台は、残り40分の時間を、掛け声もなしにマスクをしてみんな頑張って引き回しました。
そして屋台小屋に入る屋台を、残りも惜しみながら見て、3年ぶりの祭りは幕を閉じました。早かった!楽しい時間は直ぐに過ぎてしまいます。来年こそはマスクを外して、大きな声を出して、アルコールを飲んで弾けたいと思います。
参加してくれた皆さん、祭りを見に来てくれた皆さん、お疲れ様でした。来年もよろしくお願いします。

 

 この記事の投稿者

乗本和男

浜松市の山奥にある佐久間町というところでフィフティーズな床屋 「ヘアーサロンノリモト」を営んでいます。フィフティーズ・ロカビリーが大好きで自然に囲まれながらロックな毎日を過ごしています。町の人に喜んでもらえる床屋を目指しています!
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