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憧れのオールディーズ アイランド!沖縄本土復帰50周年、おめでとうございます。
こんにちは。
オールディーズが大好きな 浜松市佐久間町の理容師 乗本和男です。
沖縄がアメリカの占領地だったとは、子供の頃は知りませんでした。今日はそんな沖縄が、本土に返還されて50年が経った日なんです。ボクが5歳の時に、日本国に戻ったんですよね。きっと小学生の時に歴史の教科書でも習ったと思うのですが、子供の頃はそれほど興味がなかったから、教科書の歴史の中にある出来事くらいしか認識してなかったのかもしれません。でもあるきっかけで沖縄という県がとても身近に感じるようになりました。
お世話になった先輩
高校を卒業して床屋の修行に行った店に、10歳くらい年上の沖縄出身の先輩がいたんです。その先輩の出身は宮古島でした。もちろん少年期には、まだアメリカの占領下だったんです。当時の話を聞いた時に凄い環境の中に育っていたんだなって知りました。もう治安なんてものはなく、小学校の時からタバコに酒は当たり前だったみたいです。そして何より貧しかったんですよね。貧しさはボクたちが体験したことのない環境だったと思います。
そして先輩の結婚式に行った時に、友達が東京とかあちこちから来たんですが皆さん893屋さんでした。中学もまともに出てないから就職するところもなかったのか、そちらの職業に向いている方が多かったんですね。バブルの絶好調の結婚当日も、地上げの話を電話でしていたのを覚えています。そしてなぜか、先輩のお父さんの宮古島沖縄ツイスト大会優勝という写真たてが、先輩の部屋に飾ってあったのがとても気になりました。
沖縄出身の女の子
そして当時、ボクが住んでた街にまだ介護士というものがなかった頃、看護師の資格が取れると半分騙されて来た、沖縄の女の子たちがいたんです。当時は看護師というとほとんどが女性でした。でも本土の女の子が務める病院は、普通の患者がいる病院なんですが、沖縄の子が務める病院は、介護が必要な認知症の老人や、精神障害や、奇形の人がいる、普通の看護師が嫌がる病院だったんです。勤めている女の子に給料の話を聞くと、とても安い賃金で使われてました。今でいうアジアから出稼ぎにくる女の子みたいな感じでしたね。でも心が清くて、当時バブルで澱んでいた本土の人間とは違い、昔懐かしい純粋さを感じたものです。
変換されて50年。今の沖縄はボクの憧れの場所です。まだ行ったことはないのですが、宮古島のファンキーフラミンゴ・沖縄のゴールドディスク・・・。沖縄にはオールディーズの聖地言ってもいいくらいの、サイコーなライブハウスが多いんです。そして街もアメリカン!憧れの沖縄、本当に本土返還50周年をおめでとうございます。いつか絶対に行きます。
この記事の投稿者
乗本和男