ボクの第2の実家、荒川理容店の歴史は、曾祖父さんから始まる。

こんにちは。

オールディーズが大好きな 浜松市佐久間町の理容師 乗本和男です。

21日の月曜日に、水窪の親戚の荒川理容店の片付けを手伝いに行ってきたのですが、その時に色々と懐かしいものを見つけたんです。特にボクが気になったのは、初代の荒川理容店のマスターである曽祖父の写真と、その時代の色々なものでした。それにボクが初めて見る、祖父母の仕事の写真です。これはなんか見ていて嬉しくなりました。だってお酒を飲んでいる祖父しか見ていなかったから、こんな真面目に、仕事をしていたんだなんて初めて知ったからです。

祖父の武勇伝は小さい頃から聞かされていました。良いことなら嬉しいのですが、あまり褒められることをしていなかったので、悪いイメージしかなかったんですよね。おばあちゃんは97歳まで生きたのですが、おじいちゃんは65歳、ボクが10歳の時に他界したんです。水窪のお祭りは仮装大会で有名ですが、家に遊びに行くと必ずおじいちゃんが祭りの日にやったことを聞かされました。

恥ずかしくて言えないので、内容を書くのはやめておきます(笑)

おじいちゃんの父親で、全く知らないボクの曽祖父です。この方が水窪の荒川理容店を開業した、初代のマスターなんですよね。明治5年1月1日生まれ!なんて素晴らしんだろうね。青年になり理容の修行をして、水窪の今の場所に店を構えたんです。豊根村出身の曽祖父は元ヤクザみたいで、昔はヤクザみたいな人間が職人に多かったんですね。でも本当に自分の組を持っていたみたいですよ。

そんな曽祖父が水窪に店を開店したのが、明治38年なんでした。それから昭和の4年に、理容師のとしての免許をとったのかな。現在の理容師法によれば、理容師免許は昭和22年から制定さえているんです。ですからこの昭和4年に理容免許証は、国ではなく静岡県理容組合が出していた免許証かもしれません。それに凄いのが、なんと天皇陛下の命令で理容師の試験に合格して、仕事をしているということなんですね。

当時は帝国主義の日本です。天皇の「詔書」と書かれた、静岡県理容組合からの理容試験の合格免許証がありました。理容師も当時は天皇陛下の命により、仕事をしていたんですね。凄いなーって感じました。ボクが知らない理容師の歴史を初めて知りました。

明治時代の水窪にはあまりなかった、おしゃれの最先端の理容師をやっていた曽祖父を、初めて見て知って、かっこいいなって思いました。3代まで続いた荒川理容店ですが、これで幕を閉じます。最後に曽祖父のことも知ることができてよかったです。寂しいけどお疲れ様でした。

 

 

 この記事の投稿者

乗本和男

浜松市の山奥にある佐久間町というところでフィフティーズな床屋 「ヘアーサロンノリモト」を営んでいます。フィフティーズ・ロカビリーが大好きで自然に囲まれながらロックな毎日を過ごしています。町の人に喜んでもらえる床屋を目指しています!
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