国道473号線 原田橋の崩落事故から、もう7年も経ちました。

こんにちは。

オールディーズが大好きな 浜松市佐久間町の理容師 乗本和男です。

悲しい思い出が、昨日も蘇りました。2015年(平成27年)の1月31日に、ボクたちの生活道路の国道473号線 原田橋が崩落したんです。今でも考えると、2名の大事な浜松市職員の命を奪い、悲しみに包まれた数日が過ぎたんですよね。こんな大きな事故は、この佐久間町では無いことだったので、今でもその時のことが鮮明に頭に浮かんでくるんです

当時、僕は店のお客さんとゴルフの自分の店で行っているコンペに出てました。そして反省会と称する飲み会をやるため、地元の飲み屋に集まっていたんです。そしたら市役所に勤めてるメンバーの1人が、なかなか来ない、そこで連絡を入れたら、原田橋が崩落したことを知ったんです。そして急遽その店で、テレビを付け原田橋のニュースを見ていたら、また違う市役所のメンバーに連絡が来たんです。

なんだと聞いたら「職員が崩落に巻き込まれて、2人なくなった」っていうんです。ですから、今から役所に行ってくるというんですよね。皆んな飲み会どころの騒ぎではなくなってしまい、残ったメンバーで、テレビに釘付けでその後の様子を見ていました。

実際の状況をリアルに見ることはできなかったので、憶測が飛び交って、会話もあまりいい方向に向いてはなかったです。やはり人が亡くなったことが1番に大きな出来事でしたね。まさかの橋が落ちるなんて、今でも信じられない気持ちです。

原田橋が落ちる何ヶ月も前から、吊り橋である原田橋は、橋を吊っているワイヤーが劣化したのか、針金の束になっていたのが、ほぐれていたんですよね。それを見て通行に使う人や、地元に住む人はいつ落ちるか分からない状態だと、色々な情報を発信していたんです。

もっと早く処置なりしていれば、悲しい出来事も怒らなかったかもしれません。それとやはり原田橋を大型のダンプが、ダムの砂利を積んでよく通りました。吊り橋の原田橋は、このダムの砂利を積んだダンプが通れるほど、頑丈ではなかったかもしれません。こういった悲しい事故がもう2度と起こらないように、こうやって毎年のようにブログで想いを書いていきたいです。

 

 この記事の投稿者

乗本和男

浜松市の山奥にある佐久間町というところでフィフティーズな床屋 「ヘアーサロンノリモト」を営んでいます。フィフティーズ・ロカビリーが大好きで自然に囲まれながらロックな毎日を過ごしています。町の人に喜んでもらえる床屋を目指しています!
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