ザ ロネッツ のリードボーカル、ロニー・スペクターさんが天国に旅立ちました。

こんにちは。

オールディーズが大好きな 浜松市佐久間町の理容師 乗本和男です。

オールディーズを語る時に、欠かすことの出来ないボーカルグループの、ザ ロネッツ のリードボーカルのロニー・スペクターさんが、天国に旅立ちました78歳でした。オールディーズの世界の中では、年齢的にも若い方なんですよね。当時は1958年にデビューした ポール アンカ も、16歳という若さでしたから、才能があれば、当時も年齢は関係なく認められたんです。

ボクが ザ ロネッツ のビーマイベイビーを聴いたのが、中学1年の時でした。ロックンローラーの同級生のお兄ちゃんが持っていた、オールディーズ集という何枚か入っているレコードの中に入っていたんです。中学生の時はお金もなく、地元にレコード店もなかったので、レコードを借りては、テープレコーダーに録音して聴いていました。

なぜか女性のボーカルやボーカルグループはあまり売れない時代でしたが、この ザ ロネッツ や コニー フランシス は別格で、この ザ ロネッツ のプロデューサーのフィル・スペクターが只者ではなかったんです。
1960年代初期にロックのレコーディング手法「ウォール・オブ・サウンド」で革命を起こし、一世を風靡した音楽プロデューサーなんですよね。このプロデューサーとのちに結婚して名前がスペクターになったんです。

今でもライブハウスとかオールディーズ関係では、必ずこの曲がかかります。そしてこの曲を好きな人が多いんです。ボクも天竜区をオールディーズを通して元気にしたいダンスユニット「The Pin Ups」に、ビーマイベイビーの振り付けを作り教えて、ステージで踊ってもらったぐらいです。

多くの歌手や多くのアマチアバンドが、この曲をカバーし歌いました。本当に残念です。大好きなオールディーズの黄金時代を作った ザ ロネッツ のロニー・スペクターがいなくなったことで、またリアルなオールディーズソングを聴くことが出来なくなりました。

大好きなビーマイベイビー。大好きな歌手 ロニー・スペクターのご冥福をお祈りします。

 

 この記事の投稿者

乗本和男

浜松市の山奥にある佐久間町というところでフィフティーズな床屋 「ヘアーサロンノリモト」を営んでいます。フィフティーズ・ロカビリーが大好きで自然に囲まれながらロックな毎日を過ごしています。町の人に喜んでもらえる床屋を目指しています!
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