日本一の佐久間ダム!そんな時代があったんですよね。

こんにちは。
浜松市の理容師 乗本和男です。

佐久間ダム

僕が小さい頃はまだ佐久間ダムというと人気があり、JR飯田線中部天竜駅から佐久間ダム行きのバスが出ていたんです。もちろん国鉄飯田線(JR飯田線)も20分おきぐらいには運行していたんですよね。

それに当時は自家用車を持っている家庭まだが少なかったんです。だから電車とバスの組み合わせが交通手段として人気がったんですよ。

そんな人気のあった佐久間ダムですが、小学生の時はよく遊びに行きました。なんか子供心に遠足に行く感じがしていたんですよね。

子供の頃遊びに行った佐久間ダム

少し多めの小遣いを親からもらって、仲のいい友達と一緒に浦川駅から中部天竜駅まで行き、そこから佐久間ダム行きのバスに乗って行くのがなんか冒険し行く気持ちと、少しだけ親から離れて大きく成長した気分になっていたような感じがしてました。

子供心にして親から離れて遊びにで行くのって、自分が少しだけ大人になった気持ちになったような感じがしてたんですね。そんな佐久間ダムには当時からダムの歴史や電気で遊べるゲームがある電力館というところがあり(今でもあります)そこで遊ぶのが楽しみだったんです。

そして何と言ってもその電力館の下に喫茶店がありまして、当時の小学生の規則で親が同伴じゃないと他の喫茶店には入れなかったんですが、そこの喫茶店は僕たち子供だけでも入れてくれたんですよ。

そこの喫茶店に入ることが何と言うか、僕たち子供たちのステータスだったんですよね。

佐久間ダムは佐久間の誇り

そんな楽しかった思い出の多い佐久間ダムなんですが、先日懐かしい写真を見ていたんです。そしたら「日本一佐久間ダム」なんて写真集が出て来たんですよね。

佐久間ダムはできた当時、日本で1番大きなダムだったんです。だから天皇陛下も来られたり、観光客もいっぱい来たんですよ。そんな建設当時の写真を見つけて、改めて佐久間ダムの凄さを感じたんですよね。

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今ではあまり有名ではなくなってしまいましたが、僕の中では他所に行き「どこに住んでるの?」と聞かれると今でも「佐久間ダムの近くだよ」ってついつい自慢げに言ってしまっています。

今では若い人は知らないかもしれませんが、僕の心の中で佐久間ダムは佐久間町のシンボルであり、いつまでも町の誇りです。

そんなことを、見つけた写真を見て思いました。

 

 

 この記事の投稿者

乗本和男

浜松市の山奥にある佐久間町というところでフィフティーズな床屋 「ヘアーサロンノリモト」を営んでいます。フィフティーズ・ロカビリーが大好きで自然に囲まれながらロックな毎日を過ごしています。町の人に喜んでもらえる床屋を目指しています!
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