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9月9日生まれの、村西とおる監督とボク。
こんにちは。
浜松市佐久間町の 理容師 乗本和男です。
今日、Yahooニュースを見ていたら、なんと懐かしくお世話になった、あの巨匠の村西とおる監督のことが出てました。最近では、山田孝之さん主演の「全裸監督」で有名です。久しぶりに見る監督は、昔より少しだけ歳を取った感じがしましたが、あのオーラというか勢いはまだ健在の感じがします。村西とおる監督というと「ナイスですね!」というAV女優さんにかける掛け声が有名でした。この掛け声が流行った時は、ボクもよく真似して使っていたんですよね。それに何と言っても片岡鶴太郎さんが、「オレたちひょうきん族」で村西とおる監督の物真似をしてから、ボクの中でもっと有名になってきたです。
村西とおる監督がA◯ビデオを撮り始めたのが1985年ごろからで、ボクがちょうど高校2年から3年生の時でした。もう異性に興味がビンビンのお年頃です。その時代にはビデオデッキが普及し始めた頃で、ボクの家は新しい物好きな親のおかげで、中学1年の時にベータービデオデッキを買って持っていたんです。それにビデオカメラもセットあったんです。あっても流石に村西とおる監督の真似はしませんでしたが、当時まだVHSが出ていなくて、こちらのベーターが主流でした。
それから直ぐにVHSが主流になり、ベータービデオデッキは無くなってしまったんですよね。何と言ってもVHSが主流になってからは、勢いよくビデオデッキが広がっていきました。もう色々なビデオテープが出来て、映画館で観るしかなかった映画も、自宅のテレビで見れるようになったんです。本当にこれは画期的でしたね。ちょっと横道に逸れてしまいましたが、このビデオテープ&デッキも後押しして、村西とおる監督はA◯界の帝王になったんですよね。
そして何と言っても、やはり忘れていけないのが、監督の秘蔵っ子である黒木香さんです。この人はA◯界だけでなくテレビ出演とかしてましたし、現役の女子大生だったんです。ワキ◯をボウボウに生やして、「わたくし」で、「私思いますに……でございます」などと、丁寧な言葉を使い、S◯を演じる姿は、A◯ファンだけではなくて、色々な方に影響を与えた感じがしました。ミスマッチが面白かったんです。
そして鶴太郎さんの村西おとる監督は、もうそっくり過ぎて、観ていて笑い続けました。村西とおる監督をビデオで見てるだけに笑えて来たんです。そう考えるとA◯とはいえ、色々な楽しみ方を教えてくれた監督だったんです。そんな監督ですが、何と生まれが1948年「9月9日」なんですよね。ボクの生まれた月日と同じだったんです。この面白さのセンスは只者ではないと感じてました。そんな村西とおる監督に親近感を感じていたのは、こんなことがあったからかもしれませんね。9月9日が来て73歳になる監督、これからも精力的に頑張ってほしいです。
この記事の投稿者
乗本和男