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浦川小学校の「扁額」と「かしの木」が浜松市地域遺産に登録されました。
こんにちは。
浜松市佐久間町の理容師 乗本和男です。
佐久間町 浦川 の町並みに加えて、浦川小学校にある「扁額」と「かしの木」も、浜松市の地域遺産に登録されたんです。(扁額とは・・・横に長い額)←知ってました?ボクは知らなかった(笑)
特にかしの木には思い出があり、ボクが小学校の1年生 昭和49年には、浦川小学校が丁度 創立100周年だったんです。そこで100年祭と言うことで、色々なイベントをやったんですよね。まだ入学した分で右も左も分からないまま、浦小100年祭と言われ、イベントに参加した記憶があります。もちろん内容は忘れてしまいましたけどね。あれから40年以上もたっているんですね。
(ボクが在学中の浦川小学校 生徒数400人弱)
そんな校庭にたたずむ「かしの木」は、樹齢200年は超えているみたいです。ボクが在校生だった頃でも、もうボロボロの木でしたが、それから「かしの木」を助けようと、木の医者ににみてもらい、また元気になったんです。これだけ長い間も子供たちを、そして浦川の町を見守ってくれて、そしてボクたち浦小卒業生のシンボルとして、今でも元気にそびえてる姿を見て、元気をもらっています。
(向かって右から3番目 かしの木の絵をぶら下げているのがボク)
実は小学校4年生の時に、クラスで劇をやったんです。それは浦川小学校の100年祭のお祝いをするイベントでした。その時にボクは小学校を見守り続けた「かしの木」をやらさせてもらったんです。「かしの木」の気持ちになり、話たセリフはもう忘れてしましましたが、でも小学校と「かしの木」の繋がりと関係が凄く分かったのを覚えています。
そしてもう1つ榎本武揚さんの扁額です。幕末に函館五稜郭に立てこもり官軍に抵抗した榎本武揚の揮毫によるものみたいです。そんな明治維新の時の有名人が、なぜこんな片田舎の浦川小学校の扁額を書いてくれたかと言うと、天竜川の治水で活躍をしてくれた、金原明善さんが榎本さんに頼んだみたいなんですよね。実は金原さんは、北海道の開拓にあたり、お金を融資していたみたいなです。その関係で、北海道の開拓に携わっていた榎本さんに知り合いを通して、お願いしたみたいんです。それを浦川の名主であった矢高濤一さんに渡したんですね。
小学校にあったこの扁額は、前々から素晴らしいなって思ってました。ここに来て浜松地域遺産に登録されて嬉しいです。伝統のある浦小の宝として、かしの木と同様に大事にしてほしいです。こうやって懐かしいものが大事にされていくことは、本当に嬉しいですね。ありがとうございました。
この記事の投稿者
乗本和男