義母親の葬儀

ついにこの日が来てしまいました。義母親との別れの時です。お通夜を終へ佐久間に帰って、また葬儀の日に行こうと思ったのですが、体も気持ちも疲れていて、葬儀場の近くのホテルに泊まったんです。次の日の朝に葬儀場に行く前に、子供たちを春日井駅まで迎えに行き、2年ぶりに会った子供たちと、車の中で窓を全開にして話したんです。2人とも何も変わらず元気で良かった。こんな出会いができたのも、義母親のおかげですよね。

子供達を乗せて式場の行く前に、スーパーにより義母親の好きだった「ウニとカニと桃」を買っていきました。棺の中に入れてあげようと買ったんです。式場に着き直ぐに式の方が始まりました。祭壇に飾られた遺影を見ていると、遊びに行った時に、必ずボクのことに気を使い優しくしてくれた義母親の姿が浮かんできました。色々と思い出が走馬灯のように浮かんできて、目頭が熱くなりました。辛過ぎて何も考えられない感じだったんです。

式も終わりいよいよサヨナラの時です。棺の中に義母親の大好きだった「ウニとカニと桃」と、みんなで書いたサヨナラの手紙を入れてました。思い出の写真や大ファンだった中日ドラゴンズの応援ユニフォームも入れ、体全体が埋まるくらいの大好きだった花に囲まれて、ボクたちの手で顔を白い布で隠し、本当の最後の別れになりました。荼毘する時も棺の窓は開けずに、そのまま炉に入れたんです。入って行く姿は辛過ぎて見とれませんでした。

それから約2時間で火葬できて、姿が変わった義母親に会ったんです。なんとも言えませんでした。説明をしてくれた施設の人が、義母親の骨を見て「亡くなるまでよく歩いた人ですね。骨を見ただけでは85歳ではなく、65歳の方の骨の丈夫さです。骨がしっかりしてるので爪の骨まで残っている」と見せてくれました。健康に気をつけて頑張り屋だった義母親だったから、その証拠がこうやって現れるんだなって思ったんです。

小さな骨壺に入れられた義母親は、小さくなって家に帰って来ました。3日前まで元気にウォーキングしていたのに、嫁さんやお兄さんと前日まで電話していたのに・・・。なんで突然死なんてなったんだろう。医師も、どこも悪くなく、亡くなった理由がわからないと言ってました。まだ元気で暮らしているような感じがします。もう会えないなんて本当につらい。

「かずくん、いらっしゃい。」って優しい声で迎えてくれた義母親にもう一度会いたいです。

みんなを見守っていてくださいね。それでは、またあちらの世界で会う日まで。

さようなら。

 この記事の投稿者

乗本和男

浜松市の山奥にある佐久間町というところでフィフティーズな床屋 「ヘアーサロンノリモト」を営んでいます。フィフティーズ・ロカビリーが大好きで自然に囲まれながらロックな毎日を過ごしています。町の人に喜んでもらえる床屋を目指しています!
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