君が「徳が大事である。何とかして徳を高めたい」ということを考えれば、もうそのことが徳の道に入っていると言えます。「徳というものはこういうものだ。こんなふうにやりなさい」「なら、そうします」というようなものとは違う。もっとむずかしい複雑なものです。自分で悟るしかない。その悟る過程としてこういう話をかわすことはいいわけです。「お互い徳を高め合おう。しかし、徳ってどんなもんだろう」「さあ、どんなもんかな」というところから始まっていく。人間として一番尊いものは徳である。だから、徳を高めなくてはいかん、と。技術は教えることができるし、習うこともできる。けれども、徳は教えることも習うこともできない。自分で悟るしかない。
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面白い、インドの現状と「徳」を得る方法!
こんにちは。
浜松市佐久間町の理容師 乗本和男です。
ボクが毎月取り寄せて読んでいる「日本講演新聞」中で、ボクが意識もしなかったことが書かれて、ました。それは「徳」というキーワードで書かれていたんです。作者がインドで旅行に行った時に、露天商が鳥籠に鳥をいっぱい入れて売っていたそうなんです。その鳥は鑑賞用やペットに飼うような綺麗な鳥ではないみたいなんですよね。なんでこんな鳥を置いてあるんだろうと、見ていたら、ある男性が来てその鳥籠ごと買ったんですって、そしたらいきなり鳥籠を開けて、中の鳥を逃したらしいんです。「えっ!」って思いましたが、その男性は鳥を逃してあげることで、徳を得たかったということが分かったんです。
インドに行くと貧富の差は激しく、貧しい人たちが物乞いに来るみたいなんです。でもその物乞いは日本で見るような物乞いとは違い、まるで「お金をよこせ」と言わんばかりのいばった態度で言ってくるらしんです。これには理由があって、さっき書いたように物乞いにお金をあげると、徳が着くとということを思っているからなんですよね。ボクからしたら、お金をもらっているのだから感謝しなくてはいけないないのに、逆に徳を取らせてあげたということはどういうことだと思っちゃいます。
本当に考えると都合のいいような考え方ですが、これはインドのカースト制と宗教から来ているんでしょう。この「徳」ということだけ考えたら、ボクでも徳を取ることをしなくてはいけないなって感じました。気がついたらもう50歳を超えてきました。
もう直ぐ60歳の声も聞こえてきます。今までこの「徳」という言葉を気にしたことなど全くなく、意味も分かっていませんでした。でも「人のために良いことをする」ということは理解出来ます。これから自分に何ができるのか、どんなことをしたら人のためになるのか、まだまだ中途半端な人間ですが、少しでも「徳」を得ることができるように、意識しながら生きていきたいです。
人間として一番尊いものは徳である――松下幸之助の言葉
この記事の投稿者
乗本和男