凄い!104歳で現役の理容師で聖火ランナー!

こんにちは。

浜松市佐久間町の理容師 乗本和男です。

びっくりしちゃった!だってオリンピックの聖火リレーに104歳の方が走られることは知ってましたが、まさか理容師だったとは、それも現役の理容師ですよ!ボクなんかまだ50年も理容師をやらなくてはいけない計算になります。凄いですよね。ボクのおばあちゃんも80歳くらいでやめてしまいました。それは歳で手が少し震えるようになってきたからなんです。決してお酒の飲み過ぎではないですよ。歳を取るとどうしても細かい仕事が難しくなるんです。

そんなことを知っているから、この方「箱石シツイ」は凄い理容師だと思ったんですよね。床屋の新聞「理楽TIMES」を見たら、箱石さんのことが載ってました。14歳で床屋の修行に出て、それからずっと90年間も理容師としてやっているんです。ボクが体験した修行とは違い、とても厳しかったはずなんです。その理由にボクのおじいちゃん(享年67歳)今生きていたら110歳くらいになるんですが、修行時代の話を聞いたことがあるからなんです。

おじいちゃんが修行の時には、洗濯機なんてものはなく、雪が降る日に川に行って冷たい水で洗濯をしていたみたいなんです。休みもほとんどなく、ひたすら三食食べさせてもらうだけで、修行という名の仕事をしていたんですよね。それも技術は見て習うのが当たり前。先生の仕事を先輩の仕事を見て覚えていく方法です。今と違い効率も悪く、なかなか覚えることができないから、いつまでも大変な修行時代を過ごしてきたかもしれませんね。

そうやって考えると、バブルの時に修行していたボクも、時代と内容は変わるけど、周りは金持ちだらけ、自分はお客さんの吸った吸えそうなシケモクを、灰皿の中から選んで吸っていましたからね。給料もありましたが、生活費を払うとほとんど0でした。まさにこれも修行と考えて、我慢して5年頑張ったのですが、まさか1番景気が良く楽しかった日本のバブルの時代に、シケモクを拾って吸うことになるとは思ってもいませんでした。

まーボクの話はどうでもいいのですが、この箱石さん104歳にして理容師「私たち家族は間違いなくこの理容で支えられてきた。」と言ってます。理容師として誇りを持ち、現役でファンの方のヘアスタイルを作っています。ボクには難しかもしれないけど、100歳を超えれたら、オリンピックの聖火リレーにでれるような理容師になりたいです。

 この記事の投稿者

乗本和男

浜松市の山奥にある佐久間町というところでフィフティーズな床屋 「ヘアーサロンノリモト」を営んでいます。フィフティーズ・ロカビリーが大好きで自然に囲まれながらロックな毎日を過ごしています。町の人に喜んでもらえる床屋を目指しています!
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