国道473号線、原田橋が開通して1年が経ちました。

こんにちは。

浜松市佐久間町の理容師 乗本和男です。

今から1年前の2月29日(土曜日)念願だった、原田橋の開通式が行われました。この原田橋は本当に開通するのに時間がかかりました。その間には、ここ佐久間町浦川には大きな出来事がいっぱい起きたんです。そんな出来事を振り返りながら、新原田橋が開通して、目の前が明るくなったあの日のことを振り返ってみました。

6年前の1月31日(月曜日)ボクが休みの日で、お客さんとゴルフコンペに行って、反省会を居酒屋でしようとしたところに、この原田橋の崩落のニュースが入ってきました。市役所の職員もいて崩落に巻き込まれた方が職員の方と分かり、皆さん慌てて自治センターに行かれたんです。その時の緊張した表情は今でも忘れることはありません。

それから新しく原田橋を架け始めました。架け始めた場所がとても悪い場所で、地元の人はここではまた危ないことが起きる可能性があると言っていたのです。その新しく架ける場所を変えないで作り始め、もう少しで繋がるというところで、土砂が起きて新しい橋も崩落してしまったんです。それから結局のところ、対岸が遠くにはなるのですが、安全な場所に架けることとなったんです。

それから2015年の崩落事故から去年の開通までで、5年の月日がかかってしまいました。その間は原田橋河川敷仮設道路を作り、車を通したのですが、大雨やダムの放水により、度々通行止めが起きたんです。

そうなると電車か道の悪い林道を大回りして通らなくてはいけませんでした。いつもなら浦川から天竜川の対岸の中部に行くのに、10分もあればいけた道のりを、1時間以上かけて行くようになったんです。また大雨が降るとJR飯田線も不通になり、お手上げの状態になってました。

その不便さに嫌気をさして、浦川の町を出ていかれた住民もいます。とても辛く悲しい時間が過ぎて行ったんですよね。この5年間でどれだけの人が出て行ったでしょうか!過疎化に拍車がかかった感じでした。それが去年やっと新原田橋として開通したんですよね。

本当に長かった。去年の開通した時の喜びは今でも忘れません。これで少しでも町を出て行きたいと考える住民が、少なくなることを本当に願っています。ただこれからは山奥なのに、便利のいい町に生まれ変わります。

三遠南信道 浦川インターから鳳来峡インターまで繋がり、新東名にそのまま入ることができます。そしてなんと言っても、来春にはネット回線が光ファイバーになります。是非この機会に田舎への移住を考えている方、「快適な田舎暮らし」を実現するためにお手伝いをさせていただいています。お気軽にご相談をくださいね。

よろしくお願いいたします。

 この記事の投稿者

乗本和男

浜松市の山奥にある佐久間町というところでフィフティーズな床屋 「ヘアーサロンノリモト」を営んでいます。フィフティーズ・ロカビリーが大好きで自然に囲まれながらロックな毎日を過ごしています。町の人に喜んでもらえる床屋を目指しています!
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