町民の想いが繋げた原田橋。

こんにちは。

浜松市佐久間町の理容師 乗本和男です。

今日で原田橋の崩落が起きて6年が経ちました。時間が過ぎるのが早過ぎて、大事なことを忘れてしまいそうになります。当時、僕たちは店のお客さんとゴルフのコンペに出てました。そして反省会と称する飲み会をやるため、地元の飲み屋に集まっていたんです。そしたら市役所に勤めてるメンバーの1人が、なかなか来ない、そこで連絡を入れたら、原田橋が崩落したことを知ったんです。そして急遽その店で、テレビを付け原田橋のニュースを見ていたら、また違う市役所のメンバーに連絡が来たんです。

なんだと聞いたら「職員が崩落に巻き込まれて、2人なくなった」っていうんです。ですから、今から役所に行ってくるというんですよね。皆んな飲み会どころの騒ぎではなくなってしまい、残ったメンバーで、テレビに釘付けでその後の様子を見ていました。
あれからもう6年んあるんですよね。そして新しい原田橋「新原田橋」が開通して、1年になるんです。

本当に開通するまでの5年間は、地元の住民は、大変な思いをして暮らして来ました。大雨が降ったり、警報が出たり、佐久間ダムの放流があると、せっかく通れた河川敷仮設道路が通れなくなるんです。そして大雨など災害が怪しくなると、頼りにしていたJR飯田線が運休になってしまうんです。すると河川敷仮設道路とJR飯田線が使えなくなるので、運転が難しく女性やお年寄りには困難な林道を通るしかなくなってしまうんですよね。それか、何時間もかけて浜北周りで行くか。

とても大変な5年間を過ごして来たわけです。その間にこの住みにくくなった佐久間町から出ていく人も増えて来ました。とても悲しい5年間でした。きっと新原田橋が完成しても、街を出てく状況はなくならないかもしれません。

しかし新原田橋を楽しみにしていた人がいっぱいいたことも確かです。今日の中日新聞に載ってた「橋本健雄」さん、ボクの先輩で、何回かゴルフに誘ってもらったり、飲みに行ったりしてました。プロパンガスの仕事がら原田橋をよく使っていたんです。崩落してから大変な環境で仕事をしてました。その橋本さんも去年に病気でなくなり、楽しみにしていた新原田橋を、あまり使うことがなかったんです。

住民のため、仕事や観光ので使う人のために、早くできることを祈っていた橋本さん。今日の中日新聞を見て、人への想いと、新原田橋への想いを強く願っていた気持ちが伝わりました。これからは、この新原田橋が橋本さんが願う、住民や観光、仕事で使う人が、安心安全にいつまでも通れることを祈っています。新原田橋には、多くの人の想いが詰まっているんですよね。

 

 この記事の投稿者

乗本和男

浜松市の山奥にある佐久間町というところでフィフティーズな床屋 「ヘアーサロンノリモト」を営んでいます。フィフティーズ・ロカビリーが大好きで自然に囲まれながらロックな毎日を過ごしています。町の人に喜んでもらえる床屋を目指しています!
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