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浦川の風習!浦小にある水神様の祟りを沈める参拝。
こんにちは。
浜松市佐久間町の理容師 乗本和男です。
夏になると、やってくる楽しみがお祭りです。地元浦川の祭りは、今でこそ花火が少なくなりましたが、少し前まで北遠1とぼくが思っているくらいに、多くの花火が上がりました。ボクが20年前、若連の現役の時には、JR飯田線に臨時列車を走らせてもらったくらいに、浦川の花火を楽しみに見にくる人が多かったんです。そしてそんな花火大会をやる前に、若連の3役で、浦川小学校の裏にある水神様に、雨が降らないように無事に花火大会ができるように祈願に行ったんですよね。そんな水神様の話を、地元の郷土研究家の伊東さんが来店した時に話したんです。
そしたら伊東さんが、その水神様の歴史を調べてくれると言ったんです。昨日、わざわざ先日おこなった「浦川の歴史研究」という、地元の歴史を学ぶ勉強会に使った資料を持って来てくれたんですよね。そして手渡しした母親に、この付箋のあるところが、水神様のところだからボクに見せてほしいと言ってくれったみたいです。ボクも若連の役員をやっていた時から、晴れ祈願に水神様にお参りに行くのは知ってましたが、歴史といつから始まったのか、知らなかったんです。
それを調べて持って来てくれました。こちらがその文章です。
【林シマコさんの話(大正5年生)】
「義父は明治時代に岐阜から早瀬に来た。船頭の宿屋に泊まり仕事をしてたが、町区に出て芸者屋を始めた。私は体が弱かったので、禰宜様に診てもらうと水神様の祟りだと言われた。船頭衆が水天宮を港に祀っていたが、川の増水のたびに祠に水が入るので、祠を崖の中段に祀った。上に上がると私の体は治った。孫の遠足の前日にお参りすると雨が降らない。浦川歌舞伎の人たちにお参りを勧めた。お参りをするようになると、歌舞伎の前日の雨が降らなくなった。浦川小学校でも郊外行事の前日に、管理職が水天宮に参拝する風習があったと聞いた」
元々、天竜川を使い材木を運んでいた、筏の船頭衆が祀っていたんですね。やっぱり、水関係の仕事をしてる人が祀っていることが多いんです。でもその水神様を、船頭を義父を持つ林さんが、体調が悪くなり、禰宜様に診てもらったら、水神様の祀ってある場所が悪く、今の高いところに移したら、色々な良い現象が起きたんですね。確かに水神様を参拝に行くと、色々な行事や仕事で、大雨が降ることがなかった記憶があります。
科学では理解できないことがいっぱいあります。そんな話しや言い伝えが、この浦川の里にも昔からあるんです9。とても面白いです。コロナウイルスが収束したら、浦川歴史ツアーってのもやってみたいですね。今日はそんな浦川の歴史&風習の話でした。
この記事の投稿者
乗本和男