8月1日は飯田線が開業した記念日でした。

こんにちは。

浜松市佐久間町の床屋 乗本和男です。

僕の家はJR飯田線 浦川駅を降りて、徒歩30秒のところのにあります。まさに駅前になるわけですが、国鉄の時代からJRに変わってから、さすが民営化というか、無駄なことはどんどんやめてしまったおかげで、5.6人はいた駅員も、誰もいなくなり電車の本数も20分に1本あったのが、長いと3時間も空いてしまうようになりました。そうなると乗客はだんだんと少なくなり、駅で頑張っていた売店も店をたたむ以外になくなってしまいました。

小さい頃から僕の専用ストアー。小さい時はお菓子やジュースを買い、中学に入ると、マガジンなど漫画雑誌を買っていたんです。高校に入れば、店の前にあったタバコの自動販売で、セブンスターを買い、たまに駅で吸っていると、少年課の警察に追われることはしばしばありました。ただ1回も捕まったことはなかったですけどね。

そんな余談はよしとして、今でも覚えているのが、駅員の数が突然に減ったことです。国鉄の時には豊橋方面の日曜日の朝の急行で行くと、4両以上あった編成にもかかわらず。浦川から乗ったのでは、絶対に椅子に座れることはないくらい満員電車だったんですよね。そして壺屋のおばちゃんが売りにくる、冷凍オレンジと茹で卵を食べるのが楽しみになったんです。高校の時は僕たちも佐久間高校まで電車だったので、こんなに駅の近くに住んでいるのに、いつも乗るのにギリギリで乗っていきました。

そんな駅にも気がつくと駅には駅員がいない。そうなると時間ギリギリで行ったのでは、駅員の人が電車を止めて待っていてくれません。それも少しずつJRになったらそうなってきました。でも最近は、あまりにも本数がないのか、ゆとりがあるのか、走りながら声を上げて「待って」というと、優しい運転手さんは待ってくれるんです。これだけ人が乗ってないと、赤字路線は僕たちでも分かります。きっと昔のように、飯田線を合併する前の、いくつかの線路に分けてしまえば、豊橋に近い駅から、飯田に近い駅は、黒字になるでしょう。でも真ん中位置する僕たちの駅はなくなるかもしれませんね。

そうなならないようにきっと昭和18年 「豊橋鉄道・鳳来寺鉄道・三信鉄道・伊那電気鉄道」の私鉄が国有化されて繋がり、国鉄飯田線が8月1日に開業したんです。JRになって赤字になっても走らせてくれる。ありがたいことですね。早くこのJR飯田線を使い、僕が楽しみにしている「フィフティーズな床屋と行くJR飯田線 秘境駅 ツアー」に、愉快な仲間たちと一緒に行きたいです。

 この記事の投稿者

乗本和男

浜松市の山奥にある佐久間町というところでフィフティーズな床屋 「ヘアーサロンノリモト」を営んでいます。フィフティーズ・ロカビリーが大好きで自然に囲まれながらロックな毎日を過ごしています。町の人に喜んでもらえる床屋を目指しています!
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