第2の故郷、水窪町の叔母との別れ。

ボクにとって第2の故郷の家いっても過言ではない、浜松市水窪町の荒川家の叔母が旅立ちました。なぜ故郷なのかというと、実は水窪の荒川家は、父親の実家なんです。そして母親の妹(旅立った荒川家の叔母)が嫁いだ家でもあるんですよね。乗本家から次女の叔母さんが水窪の荒川家の長男の嫁に行き、荒川家の次男が乗本家の長女の養子として、交互に結婚したんです。ですから1番血の濃い繋がりの親戚なんです。

去年の11月に母親の1番下の叔母が旅立ちました。その時もめちゃ悲しかったけど、今回もかなり辛い。2人の叔母はボクが生まれた時から、可愛がってくれた。いつも味方になってくれて、励まし応援してくれた人なんです。そんな叔母を2人も近い時期に無くしたのは、本当に辛い。そして自分がそれだけ歳を取ったのだなって感じた瞬間でもあるんですよね。いつかは必ずこういった別れが来るのは理解しているんです。でもそれが現実に来ると、覚悟をしていても大した効力にはならないですね。

叔母と水窪の思い出

水窪町のというと祭りが有名です。特に仮装大会が有名なんですが、ボクは夜に引き回される屋台とお囃子が大好きなんですよね。小さい頃から水窪のお祭りは行ってました。もちろんこれだけ近い親戚の家ですから、まるで自分の家のようにして行っていたんです。叔父さんも叔母さんも血が繋がっているから、誰にも遠慮しないで自分の家のように振る舞ってました。水窪のお祭りは、ボクがお祭り好きにさせてくれるきっかけを作ってくれた祭りでもあるんです。

そんな祭りで高校の時は、警察と補導の教師に追われ、荒川家に土足で逃げ込んで逃してもらったり、成人になるとボクが来るからと、いつもは置いてないボクが大好きなサッポロ黒ラベルの瓶ビールを用意してくれて、祭り当日は荒川の家の人は誰も飲まないけど、朝の5時からお酒を飲ましてくれたりとボクの自由にさせてくれたんです。祭りに行けば必ず地元のお祭りの法被を用意してくれて、それを着ては地元若蓮に入り、お囃子を一緒にやらせてもらったりしてました。

そんな祭りを楽しみに行き、そして叔母はボクが甘えてくれるのを凄く喜んでくれたんです。ですからボクも一生懸命に甘えました。そんな叔母が去年のくれにボクと同業の床屋を廃業して、病気治療に専念したのですが、残念なことに先月の29日に旅立ったんです。急にこんなことになるとは思ってもいなかったので、心の準備もなかっただけ辛かったです。

大好きな水窪の荒川家は空き家になりました。これからどうしてくんだろう。小さい時からいっぱい思い出がある家です。叔母を思い出すためにまた遊びに行きたい。

叔父が旅立ってから1人でずっと床屋を頑張って来た叔母、お疲れ様でした。向こうの世界でまた叔父と一緒に楽しく暮らしてほしいなって思います。さようなら。

 この記事の投稿者

乗本和男

浜松市の山奥にある佐久間町というところでフィフティーズな床屋 「ヘアーサロンノリモト」を営んでいます。フィフティーズ・ロカビリーが大好きで自然に囲まれながらロックな毎日を過ごしています。町の人に喜んでもらえる床屋を目指しています!
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