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私財を投げ打って架けた原田橋に、名を残す原田久吉翁。
2020年3月24日(火曜日)に待ちに待った国道473号線原田橋が全面開通になりました。足掛け8年ぐらいはかかった原田橋ですが、この橋がないと僕たち佐久間町の住民の生活は、とても不便になるということを改めて知らされることになったんです。佐久間町をまるで裂くように流れている天竜川に架る原田橋を通らないと、僕たち浦川地区の住民は、自治センターや病院など主要な場所に行けなく、とても辛い想いをしました。まして通勤や通学では、飯田線の災害による不通に加え、仮設道路の通行止めで、険しい林道を通ることを余儀なくされていたんです。
そんな原田橋が地域住民の大事な動脈だということを、当時の原田久吉さんは知っていたんです。この方こそが、自分の私財を投げ打って、1番初めに原田橋を架けてくれた方なんです。原田さんは中部という地区の出身の方なんですが、若い頃に関東へ大工の修行に行き、江戸時代の末期に開国になった外国の方の宿泊施設や遊技場を作り、莫大な資産を作り上げたんです。それから故郷の学校の改築なども手掛けたんです。
それに先日中日新聞に搭載された地元の郷土史家の伊藤さんが、店にヘアカットに来店してくれた時にも、色々と久吉翁にまつわる面白い話を聞くことができたんです。1番に興味深かったのが、僕の住んでいる浦川地区に早瀬というところがあるのですが、そこから隣の神褄地区にいく時に山道しかいく手段がなかったんです。でもそれでは不便だろうと、新しいく馬車が通れるくらいの道路を作ったんですよね。なぜかって聞いたら、実は早瀬に住む女性を、奥さんにもらっていたんです。その時に不便さを感じて作ったんですね。(その女性は先妻で、直ぐに病気で亡くなったみたいです。)
地元の地域を足を使って移動することで、ようような不便さを見つけたんでしょう。それからもあちらこちらに色々なことで貢献されたみたいです。しかし相当お金を儲けたとしても、なかなか地元のために私財を投げ打つことなんてできることではありません。昔は国の力が弱いから、国ではこういった今の公共工事などはできなかったんでしょうね。その代わり原田久吉翁のような方々が、各地域でいて、地元のために貢献してくれたんだと思います。
まだまだ地元佐久間町にはそうった私財を投げ打って町の人々を救ってくれた方がいます。これからも少しずつ紹介して来たいなって思います。
次は僕の地元 浦川の四ツ門きん さんのことをお伝えしたいです。
それではまた。
この記事の投稿者
乗本和男