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珍名の多い佐久間町浦川地区、苗字が無い時にはこんな呼び方だった。
こんにちは。
浜松市佐久間町の理容師 乗本和男です。
僕の住む佐久間町浦川という地域は、珍名が多くて有名な所なんです。僕も乗本というのですが、この苗字も珍しい部類に入るんです。でも僕の家は代々浦川ではなくて、他所から来た家なので、あまり関係ないんですよね。愛知県新城市の長篠に乗本という地区があるんです。もしかするとそこが僕の先祖が暮らしていたところかもしれませんね。
さて今日は面白い地元の歴史を研究しているお客さんがみえたんです。その方に髪の毛をカットしながら、地元の歴史を聞いたんです。そしたら僕が知っている歴史の登場人物と、実際人物とはかなり違うことが分かったんです。その本当の話しを聞いて、少しショックだったのは言うまでもありません。だってそんな歴史上の人物は、ぼくらにとっては英雄に近いんですもん。
そんな英雄の中にこの町のために、国からお金をもらって来て、洪水に悩んでいた町を救ってくれた名主がいたんです。名前を矢高濤一さんと言います。
「天竜区佐久間町浦川地区は、天竜川に注ぐ大千瀬川と、さらにその支流の相川が合流する場所 で、たびたび洪水に見舞われていました。 幕末から明治時代にかけて、浦川村の名主をしていた矢高濤一は、浮森山(浦川小学校付近)を 大きく迂回して大千瀬川に合流する相川の流れを改めようと、浮森山の鞍部を開削する掘割河道の 建設に尽力しました。 また、干上がった旧河道は新田として生まれ変わり、開削工事に動員された村人に分け与えられました。」
そしてこの人は、もう1つ江戸時代には無かった地元の人の苗字を付けてくれた人なです。その中には「三津目・五百目・釣竿・道下・色山・肉山・挽内・四ツ門・・・」などあるんです。でもこの名前、聞いた話では意地悪をして付けた名前が多いらしんですよね。地元の人はきっと、意味の分からない、字の読めない人ばかりだから、少しこらしめたい人や気にらない人には、変な理由を付けて、面白い苗字にしたんですね。
じゃ苗字が無い時には、なんて読んでいたんだろうか!そしたら寛永時代から位牌がるお客さんが来店して、昔は自分の家を中心に、高い場所に住んでいる人には「空」と呼び、道の向こう側にある家の人には「向こう」と呼び、沢に近くにある家の人には「沢」と言う感じで読んだみたいです。もし僕と同じ和男が名前なら、空の和男さん・向こうの和男さん・沢の和男さん・・・となったんです。面白いですよね。自分の家を中心に各々で、そうやって呼んでいたんですね。
まさか苗字が無い時のは、こんな簡単な呼び方をしてたって初めて知りました。本当に名前の付きかたって面白いなって思いました。
この記事の投稿者
乗本和男