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「浜松地域遺産」となった、佐久間町浦川の街並み!
こんにちは。
浜松市佐久間町の床屋 乗本和男です。
3月24日の中日新聞の朝刊を見てみると、浜松市民欄に佐久間町浦川のことが載っていたんです。なかなか新聞に地元 浦川の名前が載ることが少ないから、載っているとついつい見入ってしまうんです。内容は浜松市が地域に慣れ親しまれた貴重な文化資源を,市が独自に郷土の宝として認定する「浜松地域遺産」に登録されたということだったんです。
その内容ですが「伝統的建造物群」として登録された街並みは、商人宿の面影残る建物や商家の蔵立ち並んでいるとし、商工業地域として栄たまちの景観を残してる」ということで、登録されたみたいんです。僕も昔からこの街並みがいい形で残ってくれたら良いなって、ずっと思っていたんですよね。ですからこの市の登録は、どういうことであれ、このまちの景観を残していくために、必要なものになったかもしれません。
実はここ佐久間町浦川は材木で栄た町で、戦前戦後の木材の値の良い時には、商談をして成立すると、料理屋で芸者をあげてどんちゃん騒ぎをしたんです。ですから、朝だろうが昼だろうが、決まれば早速に芸者を呼んできては、宴会が始まったんですよね。材木の値段が全盛期の良い時には、芸者の方が40人くらい、こんな小さな町にいたらしんですよね。そのくらい賑やかだったんです。
それに車のない時代には、ここ浦川は材木や蚕(絹)を浜松に筏で輸送する港があり、多くの人たちが集まったんです。そのために当時としては街しかなかったような「プールバーがあったり、映画館があったり、喫茶店や雀荘」まであったらしいんです。これも僕が生まれる前の話ですから、お客さんに聞いた話しですけどね。
ただ僕が知っている街並みは、町の家はほとんどが商店であり、女の子が5・6人いるBARがあったんです。とても賑やかな町でした。今でも人いないのにスナックが3軒と居酒屋が1軒あるんです。きっとこういった飲み屋が流行るのは「浦川は賑やかな町」というイメージが続いているからかもしれませんね。大好きな浦川の町も、空き家が増えて来ました。この認定で古都のような、趣のある浦川の町に住んでみたい、そんな人が増えてくれたら嬉しいなって思います。
この記事の投稿者
乗本和男