フィフティーズな床屋, 仕事観, 床屋ネタ, 雑感
乗本理容所の歴史と道具。
こんにちは。
浜松市佐久間町の理容師 乗本和男です。
ヘアーサロン ノリモト は僕で3代目になるのですが、今までに色々な床屋には床屋なりの歴史がありました。僕が生まれる11年前にここ佐久間町浦川に同町の中部から引っ越して来たんです。ダム関係のお客さんを相手にしていた祖父は、千眼の目があり、ダムの終了に伴い中部やダメになるということで、若い頃に遊んだ浦川で床屋をやろうと、引っ越して来たんです。それが当たって当時は祖父の他に娘(現母親)の3兄弟、職人も3人使う賑やかな店になったんですよね。
それから軌道に乗って来た時に、水窪町から父を養子にもらい、職人と姉妹は結婚したりして出ていきましたが、祖母と母親と父親の3人で繁盛した店を続けて来たんです。そこに僕が嫁さんをもらって帰って来て跡を継いだんですよね。当時は人も多く4人でやってましたが、忙し過ぎて毎日が死闘でした。今では考えられないくらいの人がいたんです。それから浜松市と合併になり、佐久間町は過疎化と高齢化が進み、若い人が出ていく町になってしまったんです。
でもこの浦川という町で、ご飯を食べさせていただいて来ました。なんとかして微力かもしれませんが、昔までいかなくても、子供達の笑い声が聴こえるような町にできたらいいなって考えているんです。そんな町の中でずっと生活をして来た、乗本理容所には、色々な歴史があるんですよね。その中でも開店当から使っていたシャンプー容器が今でも使われているんです。もう60年は軽く使っているかもしれませんね。
かなり古い形をしていますが、しっかりと頑丈に作られたそのシャンプー容器は、今では珍しい形をしています。僕が小学校の時から使っていたから、古いのは知っていたけど、まさかそんなに古いとは知りませんでした。でもこのシャンプー容器で、今までどれだけどお客さんのシャンプーをしたのか、すごい数のお客さんでしょうね。どこのメーカーなのか解りませんが、でもいつ使っても使いやすく、なんか安心して使えるそんな感じなんです。昭和チックなシャンプー容器は、これからも店の大事なアイテムとして大事に使っていきます。
乗本理容所の歴史と道具にの紹介をさせてもらいました。歴史のあるものは、どんなものにも重みを感じることができるって改めて感じました。また次回はそんな歴史があるものを紹介しますね。
それではまた。
この記事の投稿者
乗本和男