2月8日が「ロカビリーの日」なった理由。

こんにちは。

浜松市佐久間町の理容師 乗本和男です。

昨日は「ロカビリーの日」知っている人は知っているけど、知らない人は全く興味がないと思う日です。まずはロカビリーって言葉も知らないし、これがなのかも分からないだろうね。でも大好きな人には特別の日なんです。
でもその前にロカビリーってなんなのか、を少しだけ説明させてもらいますね。

音楽的に言うと、1950年の前半に、アメリカの南部で、黒人のブルースと白人のヒルビリーと癒合して出来た音楽なんだよね。でもどちらかと言うと、黒人色より白人色が強い音楽だと思う。何故ならこのロカビリーって言うのは、白人が歌う音楽だからなんです。黒人が歌うのはロックンロールって言ったんだよね。今では全てをロックンロールと呼ぶんだけど、昔は違ったんだ。でも黒人の音楽センスがなかったら、ロカビリーは生まれてないし、スパースターも誕生してなかった。

このロカビリーが誕生したことで、若者にとって新鮮なメロディーが提供されたんです。今までは退屈でどうしょうもなっかった音楽が、ノリのいい8ビートに乗って流れてきたんですからね。当時の若者は衝撃を受けたんです。そんな衝撃を与えたのが、ロカビリーを歌った白人の歌手たちでした。まずなんと言っても1955年の暴力教室の主題歌で使われたビルへリーと彼のコメッツ「ロック アラウンド ザ クロック」この曲を皮切りに、ロカビリーが世界に知られ渡ったんです。

こちらからお借りしました。

そしてなんと言っても忘れてはいけないのが、KINGことエルヴィス・プレスリーでしょう。彼がいなかったら、ロカビリーと言うジャンルは世に広まらなかったかもしれません。そのくらいインパクトのある歌手です。さっきロカビリーは白人色が強いと言ったけど、実は黒人色を強く出して成功したのがエルヴィスなんです。黒人のような歌い方、黒人のような体の動かし方、黒人が好んできた服装・・・など、白人の若者が感じることのなかった新鮮な音楽とスタイルを作ったんです。

その後には色々なロカビリー歌手がエルヴィスみたいな感じで出てきましたが、やはりロカビリーといえばエルヴィスなんですよね。でもってこれからですが、このロカビリーがやがて日本にも伝わって来ました。その時に活躍したのが「平尾昌晃・ミッキーカーチス・山下敬二郎」ロカビリー三人男なんです。

1958年2月8日に、ロカビリーブームの火つけ役となった日劇ウエスタン・カーニバルが開催されたことを記念して「ロカビリーの日」が作られました。
ウエスタンカーニバルは、東京有楽町の日劇(現:有楽町マリオン)において、1958年から1971年までの間、計57回開催されたんですよね。 その大きさは今なら東京ドームでの開催に匹敵し、全国の若者の熱狂振りは凄く、伝説のコンサートになったんです。

こちらかお借りしました

これが2月8日が「ロカビリーの日」になった由来なんです。このくらい当時の日本の若者に衝撃を与えた音楽、そしてファッションなんです。この日がなかったら、今の日本のロックやポップスはなかったかもしれないと思う今日この頃です。今日はそんなロカビリーパーティーが、全国で賑やかく行われると思います。と言うことで、僕も久しぶりにロカビリーを聴いて楽しみます。

 

 

 この記事の投稿者

乗本和男

浜松市の山奥にある佐久間町というところでフィフティーズな床屋 「ヘアーサロンノリモト」を営んでいます。フィフティーズ・ロカビリーが大好きで自然に囲まれながらロックな毎日を過ごしています。町の人に喜んでもらえる床屋を目指しています!
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