心友との別れ。
心友が天国に旅立ちました。
僕と彼とは幼稚園からの腐れ縁でした。幼稚園のころはあまり覚えていませんが、小学校に入ってからは、スポーツだけでなくて、勉強もできたんですよね。特に学級委員など、皆んなをまとめる立場の仕事が多かった感じがしました。
ただ昔は各地区に子供もいっぱいいて、地区ごとで遊ぶ感じだったんです。ですから隣の地区の彼とは、小学校の時に遊んだ記憶があまりないんですよね。中学生になり彼は生徒会長や、英語の弁論大会に代表として出たりしたんです。なかなか優秀なのに、野球部ではレギュラーだったんですよね。もちろん僕は野球部では補欠でしたけどね。
そんな彼とは小学校・中学校・高校と一緒だったんです。高校に入ると、普通科なのに就職クラスと進学クラスに別れたんですよ。進学クラスは試験があり、2年から3年に進級するにも試験をやって受からないと入れなかったんです。彼は頭が良かったのでそのまま3年まで進学クラス、僕もなんとか3年間進学クラスにいることができました。高校では僕が硬式のテニス部、彼が硬式の野球部だったんです。やっぱり現役中はあまり接点がないような感じですが、ただお互いに麻雀が好きだったんです。
クラブの現役の時には、野球部は遊ぶ時間がなかったけど、暇を見つけては麻雀をしていたんです。高3の8月に入ると野球部もテニス部も終わり、進学クラスなのに僕と彼だけ就職したんです。僕は床屋に彼は1000倍の難関を超えてNTTへの就職でした。進路が決まってしまうと、もう卒業だけできれば十分なんですよね。
彼のお父さんは、893とも卓を囲んだ雀士だったんです。ですから、彼の家は僕ら高校生の雀荘だったんですよね。学校の授業が終わると、いつものメンバーで彼の家に行き、タバコをふかしながらジャラジャラやったんですよね。1000点10円という安いレートでも、頭に来て喧嘩する奴もいました。10円でも高校生にとっては大金だったんです。だから僕が自宅に帰るのはいつもと言っていいほど夜中でした。おばさんが夜食を作ってくれて、帰りは真っ暗い飯田線を歩いて帰ったんですよね。本当にお世話になったんです。
そしてお互い就職して、実家に帰って来たりすると、一緒に飲んで騒ぎました。若かったし楽しかったんだよね。一緒に悪いことをしたから、楽しい思い出がいっぱいあるんです。そんな彼は僕が実家に帰って来てから、帰省する度に店にカットに来てくれました。
いつも遠いところから応援してくれたんですよね。去年の3月に病気が分かった時も、抗癌剤治療で毛が抜けてしまい、自分が病気だと知られたくなかったから、帰省しなかったんです。ですから僕はもう1年近くは合ってなかったんですよね。そんな闘病中の中でも、愛用していた「全身洗浄剤クリームズクリーム」を、嫁さんに買わせに来てくれたり、去年の11月のテレビ出演の時には「会社の人に教えたいから、テレビ局と番組を教えて欲しい」と連絡がメールで来たんです。
ですから仕事が忙しいと言っていたから、来れないんだなってずっと思っていました。でも違っていたんですよね。
僕が病気を知ったのが、今年の1月13日でした。名古屋の病院に見舞いに行き、辛そうにしている彼を初めてみたんです。病室に入り、彼の横にある椅子に座って彼を見ていたけど、頑張り屋の彼に声をかけることを出来ずに、ただ30分くらい座って眺めていただけでした。15日になると実家のある佐久間町の病院に転院して来たんです。きっと元気が出と思ったんだけど、病は彼を苦しめてました。16日に顔を見に行き、19日もまた午前中に行ったんです。その時も元気よく声を掛け合ったんですよね。
その晩に容体が急変してしまい。買い物から帰ってくると、友達から連絡が入って来たんです。急いで病院に行きました。病室に入ると親族の方に囲まれ、声をかけていたおばさんが「和男くんが来たよ」というと、少し目を開けてくれたんです。しかしもう力尽きていて、その後にすぐに旅立ってしまいました。でも彼の最後を看取れることが出来て嬉しかった。覚悟はしていたけど辛かったです。
生前に髪の毛と髭をやって欲しいと言われてたので、家に帰って来たその朝に、使い捨てのハサミとクシとTの字の剃刀を持って、彼を綺麗にしに行ったんです。もう彼は冷たくなってましたが、その時間は、いつもヘアーカットとしてた懐かしい時間のようでした。彼に声をかけては、髭を剃ったりしました。最後に彼との約束を守れて嬉しかった。
その後、出棺・葬儀と出ましたが、なんとも辛い時間でした。まだもう少し時間が立たないと、実感がわかないかも。そんな気持ちなんです。なんか彼が「おいっ、久しぶり!」って、店のドアを開けて入って来そうなんですよね。
今日は、そんな心友に「ありがとう・さよなら」って実感がわかないけど、言って別れて来ました。
この記事の投稿者
乗本和男