日本人が古来から受け継いできた「やまとしぐさ」。

山奥に住んでいる人たちは凄く純粋な心を持っています。それは日頃の生活を見ていると分かります。特に感じるのがちょっとどこかに外出する時にも、家の鍵をかけていかないんです。もちろん自宅に大金などが置かれてない証拠でもあるのですが、暗黙の了解で隣近所の人が目を光らせて、誰が来たのか見ていてくれるんですよね。そして気になる人がくると「今、出かけしていますよ」って、声をかけて確認してくれるんです。別にどこに行くと言ったわけでもないのですが、お節介というか色々な意味で純粋に心配してくれるんですよね。

そんな山奥の人の姿勢に現れてくるのが、学校に通う子供達なんです。先日やった秘境駅ツアーに集まった人の中で都会から来てくれた人がいました。その中の人が「自分の地域では、学校の方から知らない人に挨拶しないように通知が出ているんです」って言ってました。つまり学校に通う子供たちは、知らない人から「おはよう」「こんにちは」「おやすみ」などと挨拶をされても、返事をしてはいけないと言われているんですよね。

確かに都会では色々な事件があるので、一概に間違っているとは言えませんが、子供達に純粋に挨拶してくれた人に、挨拶を返せないなんて凄く辛いことだなって感じました。でもそんな都会から来た人が『車で浦川駅まで来て仮眠をし、朝起きて駅のトイレに行こうとしたら、駅を使う子供達が「おはようございます」って、僕に頭を下げて挨拶をしてくれたんです。凄くビックリしたけど感動しました』って言ってくれました。

山奥に住む大人の姿勢が子供達に伝わり、人に会ったら挨拶をしようという習慣ができてしまっているんでしょうね。そんな子供達がやっている挨拶の時の姿勢が「やまとしぐさ」という古来からの日本人ではないでしょうか。僕は毎月「みやざき中央新聞」という、とても為になる新聞をとっているんです。その新聞の社説に「我々の代で途絶えさせていいのか」という台で、日本古来の挨拶など、日本人が今まで型にこだわって来たことが書いてありました。

その中の1つに「あいさつ」があったんです。こんなことが書いてありました。

「お辞儀」。お辞儀はあいさつとセットになっていることが多い。あいさつは言葉でお辞儀がその時の「型」だ。「おはようございます」「こんにちは」とあいさつをする時は、背筋を伸ばしお辞儀をする。そこには相手への感謝や敬意の念が感じられる。だからお辞儀から「お」は外せない。背筋を伸ばすという「型」には「天に繋がる」という意味あるそうだ。お天道様に恥ずかしくない生き方をしていることをお辞儀をすることで確認していたのである。お辞儀は人にしている様で、お天道様にしているというわけだ。

まっさらな気持ちの正直者だからこそできる「あいさつ」の姿勢、心にやましいことがある人にできないのは、この姿勢がお天道様に繋がっているからなんです。ビシッとした姿勢は、誰が見ても気持がいいものです。僕も心にやましいこと?がない人間です。あいさつする時には、お天道様に恥ずかしくない様に「やまとしぐさ」を気にして背筋を伸ばします。

 

 この記事の投稿者

乗本和男

浜松市の山奥にある佐久間町というところでフィフティーズな床屋 「ヘアーサロンノリモト」を営んでいます。フィフティーズ・ロカビリーが大好きで自然に囲まれながらロックな毎日を過ごしています。町の人に喜んでもらえる床屋を目指しています!
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